「革靴で有名な国は?」という質問に対してあなたはどこの国を思い浮かべますか。
やはり思い出されるのは、アメリカやイタリア、フランス等欧米諸国ではないでしょうか。
そんな数多くある国の中で、世界一の革靴大国はどこなのかと聞かれてあなたはわかりますか?
答えは「イギリス」の一択です。
革靴発祥の地であるイギリスのノーザンプトンでは、世界中に愛される革靴ブランドが数多く生まれました。
現在では世界中のセレクトショップに出回り、ビジネスのみならずファッションにも欠かせないアイテムとなっています。
そんな世界一の革靴大国イギリスが、なぜ現在の地位まで上り詰めることになったのか、その理由を歴史や地域特性を紐解きながら語っていきたいと思います。
ノーザンプトンという街
ノーザンプトンはイングランド中東部に位置し、ロンドンから約100キロ北上した都市。
特に19世紀にはあまたの革靴ブランドがこぞって製靴工場を建てた事から「革靴の聖地」と言われています。
ではなぜここが革靴の街として製靴が盛んに行われたのでしょうか。それは革靴の製造過程で必要な条件が全て揃っていた事が要因といえます。
まず1点目は革の素材である牛の飼育が盛んで牧草地が点在していた点。素材の牛がいないことには靴を製造することはできません。
だからこそ、牧草地帯というのは必須条件でしょう。
2点目と3点目の要因は二つとも自然に関連します。樫の木(オーク)が豊富に自生している点と水源が豊富にある点。
素材である牛の革は原材料時点では固く、成形出来ない状態にある事から革を柔らかくする必要があります。
その工程において、革を柔らかくすると書いて「鞣す(なめす)」という工程があります。
皮をなめす際は、樫の木(オーク)から抽出したタンニンを使います。
聞いたことがあるかもしれませんが、この工程を天然の「タンニンなめし」といいます。
現在流通しているほとんどの革製品は、化学薬品を使用した「クロムなめし」であり、「タンニンなめし」は高級なイメージがあるかもしれません。
しかし、当時はクロムがない時代なので、オークを使用した「タンニンなめし」が当たり前のように行われていました。
またオークの木以外にも皮をなめす際に必要となるのは水が豊富である事です。ノーザンプトン郊外にはネイネイ川を中心として無数の川が流れ、十分すぎるほどの水源が存在しています。
このように自然豊かで、靴づくりにはうってつけの場所であったことからタンナー(革をなめす職人)が多く軒を連ね、その革を求めて製靴職人が集まったことから靴づくりが盛んになったといわれています。
「靴需要の到来」がイギリスを世界一の大国に
イギリスが革靴の本場となった理由は、17世紀(1942年)に起こったピューリタン革命が原因と言われています。
ピューリタン革命とは、王による統治を行う事を支持する王党派と、それに対し議会を中心に統治を行う事を支持する議会派の内戦の事を指します。
それが靴づくりと何の関係があるのか。
革命という名前がついている為、上記2党派が戦争を行うわけなのですが、戦う為には剣や鎧などの装備が当然必要となります。
しかし意外なことに、武器よりももっと需要が高まったのが「靴」だったのです。この時知っておくべき人物が「オリバー・クロムウェル」です。
ピューリタン革命において中心人物だったこのクロムウェルが、13人から構成される靴職人グループに600足のブーツと4000足の短靴をオーダーしたのです。
軍隊の機動力をアップするために個人別に足サイズを測定し、革を積み重ねたヒールや靴の生産効率を上げたといわれるラスト(木型)が発明される等靴産業において多くの発明がなされた機会ともなりました。
13人の靴職人はこのオーダーに対し、見事すべての靴を完納。以降評価の高まったノーザンプトンの職人に靴のオーダーが集まるようになりました。
この革命に起因する「革靴需要の到来」により、靴づくりの環境が整っているノーザンプトンにタンナーや靴職人がさらに集積し、現在までの発展を遂げているのです。
この時がまさにイギリスの靴産業の始まりといえるでしょう。
高級革靴ブランドの台頭
19世紀に起こった産業革命も靴産業の発展に大きく寄与しました。
産業革命後、農業以外の仕事をする人が増え、ビジネスにおける革靴の需要が急速に伸び始めます。
これまでノーザンプトンのそれぞれの工場で靴を製造していた職人達が、ぞくぞくと起業し始め、起業家として多くの革靴ブランドを立ち上がりました。
現在でも有名なノーザンプトンを代表する靴ブランドの創業年表は下記の通りです。
1829年 トリッカーズ
1866年 ジョンロブ
1873年 チャーチ
1879年 クロケット&ジョーンズ
1886年 ジョセフ・チーニー
1890年 エドワード・グリーン
このように今でも存在し続けている名だたる革靴ブランドが立ちあがり、ノーザンプトンの人口の3人に1人は靴工場で働いているような状態にまでなりました。
靴需要の高まりを見せる中、産業用機械の発明により靴の製法にも大きな変化が起きだしました。
産業革命以前は「ハンドソーンウェルテッド製法」という主に手縫いにより革の上部(アッパー)と下部(アウトソール)をウェルトという革紐のようなパーツを挟み、縫い上げる事で革靴が製造されるのがイギリスでは主流で行われている製法でした。
しかし、機械発明により機械を使って縫い合わせる「グッドイヤーウェルテッド製法」がアメリカで生み出され、靴製造の生産性を劇的に向上させたのです。これも1910年~1930年台にはノーザンプトンでいち早く工業化する事で、革靴トップの座を守り続けたことで栄華を極め、「靴の聖地」と呼ばれるようになったのです。
現在では靴メーカーの数は減少傾向にはありますが、依然としてイギリス伝統の靴づくりへの情熱、質実剛健といわれるつくりの良さは失われることなく、長く履けるよい靴を今でも生み出し続けているのです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
革靴の歴史は奥が深く、知れば知るほどロマンあふれるものですね。
そんなロマンを感じながら自分の所有する革靴も大切に長く履き続けてほしいと思います。
またもし機会があれば様々な靴が生み出されたルーツであるノーザンプトンに訪れて「革靴オタク」になってみてはいかがでしょうか。